アンディ・ウォーホルは名画「マリリン」を生み出した画家として有名です。
今回はアンディ・ウォーホルの経歴や人気作品について紹介します。手放す際のコツも紹介しているので、版画やシルクスクリーンの売却を検討している人は、参考にしてください。
アンディ・ウォーホルの経歴
アンディ・ウォーホルは、米ペンシルベニア州ピッツバーグで1928年に誕生。2人の兄がおり、家がカトリックだったことから、幼少期よりよく教会に通う生活を送っていました。
もともと体が弱く、日光アレルギーの持ち主。鼻が赤いなどのハンディを抱えたものの、幼少期より絵の才能が開花。父が病気で死去してからは、母を助け、アルバイトをしながら高校へ通っていました。
その後、進学したカーネギー工科大学(現在のカーネギーメロン大学)では広告芸術を学び、卒業。大学卒業後はニューヨークへ渡り、『ヴォーグ』や『ハーパース・バザー』などの広告イラストを手掛け、知名度を上げていきます。
1952年には「アート・ディレクターズ・クラブ賞」を受賞し、商業デザイナー・イラストレーターとして成功。しかしクライアントの要望に応えようとイラストの修正に追われる日々で苦労する面もあったとされています。
1950年代に線画に乗せたインクを紙に転写する「ブロッテド・ライン」と呼ばれる技法を開発し、作品の大量印刷を可能としました。30代になると、アシスタントを雇い、シルクスクリーンプリントや靴、映画・音楽なども制作。
1965年には女優やモデルとして活躍していたニコ(クリスタ・ペーフゲン)を自身がプロデュースするバンドにスカウトします。シルクスクリーンで「バナナ」を描いた作品は有名になり、高い評価を受けました。
アンディ・ウォーホルの代表作品

引用:滋賀県立近代美術館
アンディ・ウォーホルは、商業美術の手法とされていたシルクスクリーンの精度を高め、当時のアート界に旋風を巻き起こしたパイオニアです。
特に有名な作品には「マリリン・モンロー(マリリン/1967年)/シルクスクリーン・版画」があります。作品は大スターだったマリリン・モンローの顔を大きく描いたもので、10点組のシルクスクリーン作品です。
モデルはモンロー本人ではなく、雑誌やメディアに取り上げられた彼女のイメージを膨らませ、色彩のバリエーションを持たせながら描かれました。
また「電気椅子(1971年)/シルクスクリーン・版画」も有名です。広いキャンパスにぽつんと置かれた電気椅子がなんとも悲しげな雰囲気ですね。この作品は社会で隠蔽されている「死」を暴きだす目的で描かれたとされています。
他にも、「ミック・ジャガー(1975年)/シルクスクリーン・版画」や「リンカーン・センター・チケット(1967年)/シルクスクリーン・版画」、「サムという名の猫(1954年)/オフセットリトグラフ・手彩」、「キャンベルのスープ缶(1962年)/シルクスクリーン・版画」から「危機に瀕している種シリーズ」など、有名作品を数多く生み出しています。
最近ではアンディ・ウォーホルの作品に影響を受けた日本人アーティストの河村康輔がポートレートを使ってTシャツなどをデザイン。さらにユニクロで販売され話題となるコラボ商品も増えてきており、馴染みのある人も多いかもしれません。
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プライベートではスキャンダルも多いアンディ・ウォーホルでしたが、人生を描いた書籍が多く出版され、後世に大きな影響をもたらしました。
彼はファクトリーと呼ばれる場所で数々のアート作品を生み出したといわれ、アンディ・ウォーホル全版画には400以上の作品が収録されています。しかし実際はもっと多かったともいわれていますね。
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