ベルナール・ビュッフェは荒く黒い線と、モノトーンを基調としたリトグラフ・版画・油彩画で、多くの人を魅了しました。
今回はビュッフェの経歴や代表作品・買取相場などを解説します。
ベルナール・ビュッフェの経歴
ベルナール・ビュッフェは1928年、フランスのパリで生まれました。父親は工場の経営者でしたが、多忙を極め親子関係は希薄だったといいます。
唯一心の支えとなっていた母を10代で亡くし、失意の彼が逃げ込んだ先がキャンパスでした。1943年、パリ国立高等芸術学校に入学。絵画の腕を磨き、5年後の1948年にはパリで最も権威のある新人賞・批評家賞を受賞し、“天才画家”として名を馳せました。
そして20歳で結婚したものの、わずか一年たらずで離婚。1950年に相方となるイヴ・サンローランの創業者のひとり・ピエール・ベルジェに出会います。
当時同性愛者はあまりメジャーではありませんでしたが、二人は公私ともに親密なパートナーとして暮らしました。
もともと経営の知識があったベルナール・ビュッフェはピエール・ベルジェへ売り込みに成功。二人は若くして上流階級の仲間入りを果たしました。
その後ピエール・ベルジェが自身の元を去ると、女優のアナベルと再婚。以降、ベルナール・ビュッフェはアナベルをモデルとした作品を数多く描いています。
晩年、パーキンソン病を患い絵を描くことが困難な状況に。画家としての将来を悲観しながら自ら命を断ち、71歳の生涯を終えました。
ベルナール・ビュッフェの代表作品
ベルナール・ビュッフェの版画やリトグラフは硬質で鋭く、力強い輪郭線やモノトーンを基調とした独特の技法で自身の絵を表現しています。
彼は多感な時期に父との関係が希薄となり、母も他界。刺々しい黒い線と感情が溢れ出るような色彩は、彼の押し殺すような苦しみを表しているかのようです。
彼が生きた時代は第二次世界大戦後の不安定な世の中。人々の心情がそのまま表現されたような作品は、多くの支持を集めました。
有名な作品が「ラ・フォンテーヌ 20の寓話(1960年)/版画」や「サントロペの村(1981年)/リトグラフ」です。引っ掻くような線で描かれたこれらは、彼が抱える心の闇を現しているようです。
ベルナール・ビュッフェの作品はほとんどがリトグラフや版画ですが、一部油彩画も残しており、「花束(1980年)/油彩画」が有名。
若くして栄光を手にしたため、晩年の作品にはマンネリだと批判された時期もありました。しかし静岡県にベルナール・ビュッフェ美術館が誕生するなど、まだまだ注目度の高い画家です。
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