藤村明光は日本に6人しかいないといわれる市松人形職人です。16歳から人形作りに携わり、国内外に高い評価を得ています。ここでは藤村明光の経歴や代表作品をご紹介します。
藤村明光の経歴
藤村明光(2010年に藤原光環に改名)は、東京の人形師・父 初代藤村紫雲のもとに生まれます。小学校の頃までは人形師になることを拒否していた藤村明光ですが、中学・高校と進み、自身の進路を考える上で人形師の道を考えるようになりました。
父が人形を作る姿や熱意に触発され、人形職人になると決めた藤村明光は、高校1年生の時に通っていた高等学校を中退。16歳で人形作りの道へと進みました。
その後は中国やアメリカへと渡り、人形のすばらしさを伝える活動を開始。1983年にはアメリカのシアトルやシカゴにて日本人形の製作実演を行います。その功績が認められ、シアトル市より名誉市民授与されるなど、国内外問わず知名度を上げていきました。
同年には、初めて銀座松屋で個展を開催。個展はその後も、定期的に開催されています。1988年にはソ連のゴルバチョフ大統領やウィーンのモーツァルト合唱団へ市松人形を献上。藤村明光が制作した日本人形がパリ装飾美術館で永久保存されているなど、人形師としての技術を認められ、現在も現役で活動しています。
藤村明光の代表作品
藤村明光の作る人形は、技法が他の日本人形とは大きく異なります。一般的な日本人形は、ポリウレタンや石膏などが使われることが多いです。
しかし藤村明光が日本人形作りに選んだ素材は桐の木や桐塑などの粘土をベースにしています。人形の肌は胡粉とにわかを混ぜたものを塗り、髪の毛には絹糸や人毛を取り入れるなど、古くからある伝統的な方法で市松人形を作っています。
たくさんの市松人形を世に生み出してきた藤村明光ですが、彼の人形の最大の特徴は目でしょう。どの人形も、オカメのような三日月型の目をしており、優しい雰囲気が魅力です。一体一体丁寧に作り込まれた愛らしい表情の人形たちが、まるで持ち主に笑いかけてくれるようではないでしょうか。
藤村明光は人形制作の際、今の自分が感じることを「創作のふりかけ」にして表現していると語っています。藤村明光の生み出す人形の優し気な表情は、作り手の心が現れた結果なのかもしれませんね。
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