ギュスターヴ・クールベは斬新な画風と独特の考えから、当時の美術界に大きな影響をもたらしました。
ここではギュスターヴ・クールベの経歴や作品について紹介。売却時のコツも解説します。
ギュスターヴ・クールベの経歴
ギュスターヴ・クールベは1819年、スイスの国境に近い村で裕福な地主の子供として誕生しました。中学校はカトリック系の学校へ入り、デッサンの基礎を学びます。
1837年に高校へ入学すると、学業のかたわら画家フランジューロへ弟子入り。21歳の時に父親の意向でパリのソルボンヌ大学法学部に入学したものの、画家を目指したい気持ちは消えませんでした。
そのため絵画塾で学び、ルーヴル美術館で巨匠たちの作品の模写などを行います。地道な努力もあり、1844年に「黒い犬を連れた自画像」がサロンに入選。当時の画家としては遅咲きのデビューでした。
その後も作品がサロンに入選し続け、徐々に知名度を上げていきます。転機となったのは1849年。「オルナンの食休み」が有名画家であるドミニク・アングルとドラクロワから高い評価を受けることに。この出来事がきっかけで国家が買い上げ、リール市立美術館に所蔵されました。
ギュスターヴは続編として「画家のアトリエ」と「オルナンの埋葬」の出品を試みますが、作品は政治色が強いと批判を受け、展示を拒否されてしまいます。そして美術館の近くに小さな小屋を建て、自らの作品を展示することに。
当時個展はほとんど世の中に浸透しておらず、ギュスターヴの作品展は世界初の「個展」といわれています。
晩年になるほどギュスターヴの作品から政治色は消え、風景画や裸体画、海洋風景画、狩猟画、静物画が中心となりました。
ギュスターヴ・クールベの代表作品

引用:美術手帖
ギュスターヴ・クールベの作風は、「自分が実際に現実で見たものだけを描くこと」をメインとし、「宗教的・伝統的な主題や前世代のロマン主義的幻想絵画」を否定しています。その思想は後の印象派やキュビズムへ大きな影響を与えました。
1840年代から注目度が高まった彼ですが、主に貧しい農家や労働者の様子をリアルに表現しコンペに出品。特に物議を醸し出した「世界の起源(1866年)/油彩画」では常識を逸脱した前衛的な画家と大きな注目を浴びました。
またギュスターヴの作品は登場人物の細かな表情にも注目したいところ。「絶望(1843年)/油彩画」では、目を見開き、何かを後悔するような男性の姿が生々しく描かれています。
それと「画家のアトリエ(1854年)/油彩画」や「出会い(1854年)/油彩画」などでも人物が描かれており、彼の「見たまま描く」というこだわりが良く表現されています。
他にも、「スイスのもてなしに対するオマージュ(1875年)/リトグラフ」や「若い石割り人夫(1865年)/リトグラフ」も有名作品ですね。
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ギュスターヴ・クールベは多くの若手芸術家に慕われ、有名画家であるモネも作品のモデルと取り上げたほどです。多くの画家に影響を与えたギュスターヴのリトグラフや版画、油彩画は、今でも多くの支持を集め、ファンやコレクターの心を虜にしています。
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