日本初の人間国宝といわれた平田郷陽の経歴と代表作品をご紹介していきます。
平田郷陽の経歴
平田郷陽(ひらた ごうよう)は明治36年生まれの人形作家であり、重要無形文化財保持者、人形師としては日本初の人間国宝です。14歳から父である初代平田恒次郎に弟子入りして修行をはじめ、大正13年、21歳で二代目平田郷陽の名を受け継ぎました。
数々の日本人形の製作を手掛け、昭和3年には白沢会、昭和10年には日本人形社を設立。
昭和11年には第一回帝展に入選。文展、日展など多くの展覧会に出品したことで著名となり、政府から依頼を受けてベルギーやフランスの万国博覧会にも作品を出展しました。昭和30年には重要無形文化財である「衣装人形」保持者に認定されました。
一人形職人である一方で、後進の指導も熱心に行い、日本における人形文化の普及と発展に寄与した人物でもあります。昭和56年に数々の名作を世に残し生涯を遂げました。
平田郷陽の代表作品
平田郷陽が手掛けた日本人形は非常に繊細で写実的。まるで生きているかような生命感あふれる作風が人々に驚きをもたらしました。「粧ひ(よそおい)」は鏡の前でかんざしを挿している女性を象った人形で、肌の質感や色、細部にまで再現された目元、髪の毛の生え際が非常に見事で、息を飲むような美しさです。こうしたエッセンスが市松人形にも大いに宿っています。
平田郷陽が日米親善のために造った答礼用の市松人形はアメリカでも評判となり、世界から日本の人形をはじめとした工芸品や美術品の芸術性の高さを知らしめるきっかけに。
それ以降も、しばらく平田郷陽は市松人形の製作に携わっていましたが、評判が高まるとともに芸術性が高い作品を手掛ける方向にシフトしたため、結果的に市販用の市松人形はわずかな期間、わずかな数量しか造られておらず、非常に希少価値が高いとされています。
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