堀柳女(ほり りゅうじょ)は人間国宝にも選ばれた有名な作家です。衣裳人形というジャンルを開拓し、日本の人形文化に大きく貢献しました。ここでは堀柳女の経歴や代表作品について解説します。
堀柳女の経歴
堀柳女(ほり りゅうじょ)は明治30年生まれの衣装人形作家です。1930年に竹久夢二たちと知り合ったことをきっかけに人形制作グループ「どんたく社」を結成。その後、銀座資生堂などで作品の展示会などを行いました。1933年に銀座三越で初となる個展を開くと、知名度はたちまち急上昇。堀柳女の作品は、西沢笛畝によって「新衣裳人形」と命名されました。
1934年に野口光彦、鹿児島寿蔵らと共に甲戌会を結成。1936年には第一回帝国美術院展に初入選を果たし、その後は毎年入選の常連となります。
1951年に開催された第七回日本美術展では審査員も務め、1955年には「衣裳人形」の分野で重要無形文化財保持者(人間国宝)にも選ばれるなど、実力・名声共に不動のものとしました。
1960年に入ると日本工芸会の理事に推薦されたり、紫綬褒章を受賞するなど、その活躍はますますすごみを増します。1984年に逝去するまで精力的に作品展を開催するなど、日本の文化に大きく貢献しました。
堀柳女の代表作品
堀柳女の日本人形たちは衣装人形と呼ばれるジャンルです。衣装人形とは、名前の通り美しい布地で作った衣装を貼り合わせて作った作品。堀柳女は人形の衣装はもちろんのこと、髪飾りや履物までこだわり、細かく作り込んだことで高い評価を得ました。
作品は女性の美しさや佇まいを写したものが多く、「ある劇」や「椒房」・「姿」などが有名です。堀柳女の作り出す女性の姿は、東洋の古典、中世日本などの時代風俗などをイメージした独創的な風合いに溢れています。
他にも異国の情緒を感じさせる「木花開耶姫」や、大胆な曲線美が美しい「鉦鼓」など堀柳女の代表作は上げればキリがありません。日本だけでなく、世界的にも高く評価された人形作家であるといえるでしょう。
作品が高い評価を受けた証として、堀柳女の人形は宮内庁の装飾用の置物として採用されたこともありました。
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堀柳女は重要無形文化財保持者(人間国宝)に登録されたこともあり、作品の人気は急上昇しています。本人がすでに逝去しているため、今後新しい作品が作られることがないのも、希少性が高まっている理由です。
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