ジャン・ジャンセンはフランスで活躍したアルメニア人画家です。日本での知名度は高く、専門の美術館が作られたほど。
ここではジャン・ジャンセンの経歴や代表作品・売却時のコツについて解説します。
ジャン・ジャンセンの経歴
ジャン・ジャンセンは1920年、アナトリア北西部の町ススルルクにて製糸工場を営んでいた両親の元で誕生。1931年には一家でフランスへ移住しました。
その際ジャンは足にケガをし、入院生活を余儀なくされます。3年間にも及ぶ入院生活の中で、自身の将来を考え、画家になる決意をしたのでした。
1938年にはパリ装飾美術学校を卒業。卒業後も様々なデッサン学校で経験を積みます。その後、1939年より多くの展示会に出品し、知名度が徐々に上がっていきます。
1951年にはスペインの民衆を描いた作品が民主主義者賞を受賞。イタリアに滞在した際には、風景や人物・宗教・市場など様々なジャンルの作品を生み出します。
また1966年にヴェネツィアを訪れた際には、国際形象展への招待を受け、参加。国際形象展へは何度も招待されており、最終的に最後の開催となる第21回まで出品を続けました。
そして1967年に入るとパリやパームビーチ・シカゴ・東京などで展覧会が行われ、ついに日本にも進出を果たします。
1993年には日本で初めて、ジャンセンの個人美術館「安曇野ジャンセン美術館」が開館しました。
日本での人気も根強く、1996年には長野県や大阪府・東京都で特別回顧展を開催。1999年には安曇野ジャンセン美術館で特別展「風景と静物画展」「花と踊り子展」を開催しました。
ジャン・ジャンセンの代表作品

引用:安曇野ジャンセン美術館
ジャン・ジャンセンは卓越したデッサン力により、今まで数多くのコンクールで賞を獲ってきました。特に出世作となったのは、「アルメニア大虐殺のシリーズ」です。
この作品は彼の知名度を高め、フランスのレジオン・ド・ヌール勲章と故国アルメニアの国家勲章を受章するほどでした。
有名な作品は多くありますが、特に「バレリーナといえばジャン・ジャンセン」と言われるほど「踊り子シリーズ」は人気です。「バレリーナの吐息(1969年)/油彩画」は彼女たちの気丈な中に見え隠れする危うさや繊細さを巧妙に表現。
他にも「バーに寄りかかる踊り子(1986年)/リトグラフ」や「アラベスク(1969年)/リトグラフ」、「後ろ向きのダンサー/水彩画」、「後ろ向きのモデル/パステル」なども有名です。
もちろん踊り子だけでなく、「老人と子供(1958年)/油彩画」や「闘牛の後/油彩画」など人々の生活を描いた作品を多く残しています。
「闘牛の後」では勇ましい闘牛の姿ではなく、戦いの後に残された悲しさや虚しさまで表現。ジャンは光の部分だけでなく、闇の部分にもしっかりと目を向け、キャンバスに描き残しています。
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ジャン・ジャンセンのリトグラフや版画(エッチング)、パステル、油彩画、水彩画の多くはパリ市美術館に貯蔵されており、リトグラフ・石版画・油彩画ともに人気作品の入手は困難です。
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