今回は、日本の紙塑人形の第一人者である鹿児島寿蔵について解説いたします。鹿児島寿蔵作の人形の買取についてもご案内しますので、ぜひ参考にしてみてください。
鹿児島寿蔵の経歴
鹿児島寿蔵(かごしま じゅぞう)は、1898年生まれの人形作家・歌人です。和紙を原料として作る紙塑(しそ)人形の第一人者として知られます。
鹿児島寿蔵は福岡高等小学校を卒業したあと、1920年に上京して人形作家の道に専念します。
初期はテラコッタなどを活用した人形制作をしていましたが、昭和期に入るとパルプの芯材に和紙を張り合わせて作る紙塑人形を創案します。
1933年には日本紙塑藝術研究所を開設して活動を続け、1961年には紙塑人形の分野で人間国宝に認定されました。さらに後年は美術作品の著作権確立にも尽力しました。
鹿児島寿蔵は、伊藤左千夫などが所属したアララギ派の歌人としても多くの作品を残しました。
1982年に亡くなった鹿児島寿蔵の墓所には荒縄を下げてゐさらひ露はなる 山笠人の瑞々しさよ」という彼の短歌が刻まれています。
鹿児島寿蔵の後継者として、一人娘の鹿児島成恵が現在も人形作家として活躍しています。
鹿児島寿蔵の代表作品

引用:福岡県立美術館
鹿児島寿蔵の手による紙塑人形は、日本人が古くから愛してきた和紙ならではの温かい質感が特徴的。紙製の日本人形は、エレガントなイメージと揺るぎない堅牢さを兼ね備えています。
紙塑人形に使われるのは、コウゾやミツマタといった植物の繊維です。この繊維の原料に粘土の土や胡粉、パルプ、木材の粉末などを混ぜ合わせて土台を作ります。仕上げには手染めの和紙や金銀砂子などを使用し、温かい風合いに仕上げていきます。
鹿児島寿蔵は1936年の第一回帝展に紙塑人形「黄葉」を出品し入選を果たしました。この時期には、紙塑人形「わらべ」「ひとり遊び」「稚児大師」「大寿親王比奈」「まんだらの糸」「郡鼓打つ少年」などの作品を残しています。
日本工芸会の正会員となった1950年代、人間国宝に認定された1960年代には、紙塑人形「独楽」「延寿雛」「大森みやげ」「竹の響」「卑弥呼」「若き工人たち」「地久」「鵜川」「シルクロードの星」「にぎたづ」「なかよし」といった多様な作品を制作し、人形作家としての地位を確立していきました。
鹿児島寿蔵は人形作家として、さらに歌人としても活躍した人物です。人形制作と短歌の発表という性質の違う2つの創作活動が相互に作用し合い、彼の作品のクオリティを高めていったといえるでしょう。
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鹿児島寿蔵作の人形には、見る人の心を癒す穏やかな魅力があります。そのため、鹿児島寿蔵の作品は現在でも高い相場で取引されています。状態が良い商品であれば、思いがけない価格がつくこともありますよ。
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