美しい少女たちを淡いタッチで表現し、パリで人気画家となったマリー・ローランサン。日本でも大人気となりました。
今回はローランサンの経歴や代表作・人気作品を紹介。売却時のポイントもプロ目線で解説します。
マリー・ローランサンの経歴
マリー・ローランサンは1883年、パリで誕生。彼女の生年月日は一部情報では1885年ともされており、正確な情報はありません。父は有名な代議士でしたが、私生児であったマリーは長年、父親の名前を知らなかったといいます。
成長したマリーはフランスの中学校に当たるリセ・ラマルティーヌで絵画を学び、さらにアカデミー・アンベールの元で腕を磨くことに。またキュビズムの創始者のひとりであるジョルジュ・ブラックと知り合い、大きな影響を受けます。
1907年にサロン・ド・アンデパンダンに初出展。さらにジョルジュを通じてパブロ・ピカソや詩人で美術評論家のギヨーム・アポリネールと知り合うなど、人脈も広げていきました。
ギヨームとは後に恋愛関係となるものの、彼が1911年にモナリザ盗難を疑われ逮捕されたことで愛情が冷める事態に。
その後、ギヨームは無罪となったものの、彼はマリーが忘れられず、代表作の「ミラボー橋」はマリーに対する気持ちを謡ったといわれています。
その頃マリーは1912年に開いた個展が評判となり、一気に知名度が上昇。次第にキュビズムから脱却し、30歳になる頃にはエコール・ド・パリの新進画家としても有名になりました。
1914年にはドイツ人と結婚したものの、のちに離婚を経験。バルセロナへと亡命していたものの、単身パリへ戻ることになります。パリに戻ってからは上流階級の夫人達の間でマリーに自画像を依頼することがブームとなり、売れっ子画家へと成長を遂げました。
マリー・ローランサンの代表作品
初期のマリー・ローランサンはピカソやジョルジュ・ブラックの影響を受け、キュビズムを主にしていました。
しかし1920年以降はパステルカラーをふんだんに使い、夢見る少女のような淡く可憐な画風に変化。フランス史上狂乱の時代と呼ばれた時期に売れっ子画家とありました。
代表作に「キス(1927年)/リトグラフ・版画」や「アポリネールと彼の友人(1909年)/油彩画」があります。他にも「二人の少女(1983)/リトグラフ・版画」はマリーらしい配色の作品。微笑みを向ける少女の姿に、優しさを感じます。
また「アーチの下のピンクとブルーの少女/水彩画」にはマリーの画風には珍しく、二人の少女が登場。透明感あふれる色彩に、マリーの魅力が詰まっています。
マリーのリトグラフや油彩画・水彩画はフランスでも有名となり、あのココ・シャネルも自画像を依頼したほどです。
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淡いタッチで美しい少女の姿をイキイキと描き続けたマリー・ローランサン。日本でも人気があり、かつてはマリー専門の美術館が日本国内に建設されたほどです。
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