ユーモア溢れる作品を世に数多く送り出し、人間国宝にも選ばれた野口園生。ここでは野口園生の経歴や代表作品について解説します。
野口園生の経歴
野口園生は1907年生まれの人形師です。1986 年には国指定重要無形文化財保持者(衣裳人形)に認定され、数多くの作品が掲載された『野口園生人形作品集』が刊行されるなど、実力・知名度ともに日本でもトップといえるでしょう。
1924年に東京市立女子第一技芸高等女学校(現・東京都立忍岡高校)を卒業すると、およそ10年後の1937 年に堀柳女人形塾へ入門。人形師としてのキャリアを踏み出します。堀柳女人形塾した翌年には、早速申戌会芸術人形展に「みぞれ降る日」を初出品。さらに翌年、童宝美術院人形展に「家路」を出品し、奨励賞を受賞しました。童宝美術院人形展には新人の頃から何度が出品しており、優秀賞を受けたこともあります。
その後も数々の人形展で受賞を重ねた野口園生は、1955年に銀座松屋で展覧会を開催。その実績が認められ、1986 年には国指定重要無形文化財保持者に認定されました。平成5年頃まで人間国宝新作展に出品を続けていたものの、1996年に心不全で逝去しています。
野口園生の代表作品
野口園生の作品は、人の佇まいをほっこりとする丸顔でデフォルメした、温かみのある表情が特徴。ほっと心が休まる人形たちに、思わず目を奪われてしまいます。
野口園生の生み出した人形からは日常生活にすっと溶け込む季節感や、自然の趣を大胆にデフォルメした優し気な雰囲気が漂ってくるようです。代表作品はたくさんありますが、そのひとつに「夕餉時(ゆうげどき)」があります。
野口園生ならではの独特な人形の表情はもちろん、おにぎりのような丸い顔におちょぼ口が印象的。夕暮れ時にむずがる子供の手を引く母親の愛情が作品越しに伝わってくるようです。日常の何気ない親子の一枚を、鋭い感性で捉え、クオリティの高い再現性をもって表現しています。
昭和から平成にかけて活躍した野口園生。同じ時期に女性人形作家の先駆けであった、堀柳女とともに、高い評価を受けました。工芸展に出展するほどの高い技術を保ちながら、一方で自身の人形塾で次の世代に技術を繋いでいた点も、野口園生の人形愛がわかるエピソードのひとつです。
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作品展で数々の賞を受賞し、晩年は自身の人形塾で技術を後進に受け継ぐ活動をしていた野口園生。作品だけでなく、人形界への発展にも高く貢献しました。独特のセンスをユーモアたっぷりに表現した人形たちは、今でも高い評価を受けています。
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