岡本太郎(おかもと たろう)といえば、大阪万博の「太陽の塔」が有名ですね。しかし太陽の塔だけでなく、数多くのリトグラフ・版画(木版画)・シルクスクリーン(セリグラフ)や油彩(油絵)などを生み出しています。
今回は岡本太郎の経歴や人気の作品、高く売るコツを解説します。
岡本太郎の経歴
岡本太郎は1911年、父で漫画家の岡本一平、歌人で小説家・かの子のもとに生まれました。また父方の祖父は町書家の岡本可亭であり、まさに一家揃って芸術家の血筋だったのです。
父と母は子育てに熱心なタイプではなく、環境のせいか岡本太郎は1917年に青南小学校に入学するも馴染めず退学。
その後小学校への入転校を繰り返したのち、自身の理解者となる教師・位上清との出会いを果たします。絵には興味があり、小さい頃から描いていたものの、中学に入った時「何のために描くのか」と疑問を感じるように。
卒業後は、画家になる迷いを感じながらも東京美術学校へ進学しました。
その後、父の仕事の都合で家族と共にパリへ。そこでピカソの絵を見て衝撃を受け、後の画風の原点となりました。
1940年、ドイツのパリ侵攻が原因で日本へ帰国した岡本太郎は、個展を開くなどして画家活動を本格化。太平洋戦争で家を焼かれながらも世田谷区にアトリエを構え、制作に没頭しました。
1970年には大阪万博の開催が決定。岡本太郎は、テーマ展示のプロデューサーとして依頼を受けます。そこで「とにかくべらぼうなものを作ってやる」と言って出来上がったのが、現在の太陽の塔です。
岡本太郎の代表作品

引用:岡本太郎美術館
岡本太郎といえば、大阪に現在もある太陽の塔があまりに有名です。またメディアにも数多く出演していたため、馴染みのある人も多いかもしれませんね。「芸術は爆発だ」という彼の名言を知る人も多いでしょう。
太陽の塔のインパクトが強いですが、他にも画家としてリトグラフ・版画(木版画)・シルクスクリーン(セリグラフ)や油彩(油絵)を中心に多くの作品を発表しています。芸術は人々にとって外すことのできない絶対的に必要なもの、と考えていた岡本太郎。特に版画は「量産できるもの」と考え、彼が力を入れていた分野のひとつでした。
有名な作品に「海辺(リトグラフ)」・「太陽(リトグラフ/木版画)」・「花ひらく(リトグラフ)」・「訣別(セリグラフ)」・「黒い太陽(リトグラフ)」「よろこび(シルクスクリーン/油彩/油絵)」などがありますが、どれも原色を大胆に使い、ダイナミックな仕上がりです。
絵からにじみ出る激しさは、岡本太郎の熱い感情を映し出した鏡のようですね。また絵はもちろんのこと、画集や岡本太郎語録などもヒットしており、岡本太郎が世間に与えた影響力の高さを物語っています。
死後20年以上経っていますが、未だに人気があり、価値のある作品が多いのも特徴です。
岡本太郎のリトグラフ買取や版画(木版画)の買取なら買取専門店の散歩道へ
岡本太郎と聞くと、アートや芸術に興味のない人でも知っているのではないでしょうか。
知名度の割に意外ですが、実は岡本太郎のリトグラフ・版画(木版画)・シルクスクリーン(セリグラフ)や油彩(油絵)は市場で出回っているものは、そこまで多くありません。
特に油絵やパステルなどの直筆作品は描いていたそうですが、その多くはお世話になった人に贈っていたといわれています。そのため岡本太郎のリトグラフ・版画(木版画)・シルクスクリーン(セリグラフ)や油彩(油絵)は価値が高く、高額査定となる可能性があります。
もし自宅に岡本太郎のリトグラフ・版画(木版画)・シルクスクリーン(セリグラフ)や油彩(油絵)などありましたら、散歩道へご連絡ください!丁寧に査定を行い、高価買取させて頂きます。まずは無料のLINEより、お気軽にご連絡お待ちしております。