パブロ・ピカソは油彩・版画家として知られ、生涯で15万点もの作品を残したことでも有名です。
今回はピカソの経歴や人気作品・高く売るコツについて解説。絵画の売却を検討されている方は、参考にしてください。
パブロ・ピカソの経歴
パブロ・ピカソ(パブロ・ルイス・ピカソ)は1881年、異国の情緒あふれるスペインのマラガで生を受けました。ピカソの本名は聖人や縁者の名前を並べたもので、実際は知られている範囲の倍以上の長さがあります。
彼の父も画家でしたが、1892年にピカソがラ・コルーニャの美術学校へ入学した後、絵を描くことを辞めました。絵の道具を全て譲ったため、世代交代とも取れますが、一説には息子の才能が自分を凌駕していたため、とも言われています。
ピカソは美術学校在籍時、一カ月の猶予があった課題を一日もしくは一週間で完成させるなど、徐々に才能を開花。1897年には「科学と慈愛(1897年)/油彩」がマドリードで開かれた国立美術展で入選。
知名度が上がるきっかけとなります。他にもマラガの地方展で金賞を受賞。
同年、マドリードの王立サン・フェルナンド美術アカデミーに入学するも、授業内容が物足りず失望します。そのため自ら美術館に通って模写を始め、絵画の道を極めていきました。
1898年、病気のため学校を中退。バルセロナに戻り、他の芸術家たちと交流しながら絵を描き続けます。その際に、小さいながらも開催した初の個展が評判を呼び、ピカソが世間的に知られるきっかけに。生涯で作風が変化し続けた画家としても有名です。
パブロ・ピカソの代表作品

引用:町田市立国際版画美術館
パブロ・ピカソは生涯に渡って作風が代わり続けた画家としても有名で、時期によって「○○時代」と呼ばれています。特に有名な時期が、「青の時代」ですね。
ピカソは当時、親友を亡くし、大きなショックを受けていました。その影響が、無機顔料のプロシア青を基調に盲人や娼婦・乞食などの作品を多く残した時期があります。
「浴槽(青い部屋)(1901年)/油彩」や「海辺の母子像(1902年)/油彩」が有名です。どれもブルーを基調とし、ピカソの悲しみを表しているようですね。キャンパス全体に青みがかっているのが特徴です。
その後「バラの時代」の画風へと移り、心境の変化が見て取れます。「サルタンバンクの家族(1905年)/油彩」や「パイプを持つ少年(1905年)/油彩」を見ると一目瞭然ですね。
他にもピカソの画風は「青の時代」「バラの時代」のほか、「アフリカ彫刻の時代」「キュビスムの時代」「新古典主義の時代」「シュルレアリスム時代」に分類されます。ピカソはその時代に交際している女性により作風が変わる画家としても知られています。
もちろん油彩だけでなく、1898年より版画にも挑戦。「帽子をかぶる女の顔(1962年)/版画」なども有名です。ピカソは長寿だったため、非常に多くの作品を残しました。
また「パブロ・ピカソ 347シリーズ(1968年)/銅版画・エッチング・アクアチント」「夢(1932年)/油彩」「スケッチブックよりシリーズ(1960年)/リトグラフ」などの作品も有名ですね。
特に、2015年に開催したニューヨークのオークションでは「アルジェの女たち(バージョン”O”)」が、ピカソの作品として過去最高の約1億7940万ドル(手数料込で約215億2,380万円)で落札。当時のオークション史上最高落札額を更新しました。
パブロ・ピカソの版画買取やリトグラフの買取なら買取専門店の散歩道へ
パブロ・ピカソは油彩を中心に版画や陶磁器など数多くの作品を残しています。生涯で15万点もの作品を制作したといわれ、ギネスブックにも登録されました。
パブロ・ピカソの版画(銅版画・エッチング・アクアチント・木版画)やリトグラフ、油彩・パステル作品でも「闘牛」「女性」「鳩」「銃士」などの図柄が入っている作品は相場が高く販売ニーズがあるため、高価買取させていただきます。
またエディションナンバー(刷られた枚数)が少なく直筆サイン入りの作品も買取相場価格が高いため、もし「これ本物?」「価値があるかわからない…」など、ピカソの版画やリトグラフを売却したいとお考えなら、散歩道にご相談ください。
カラーからモノクロまで、版画(銅版画・エッチング・アクアチント・木版画)やリトグラフ、油彩・パステル作品であれば積極的に高価買取いたします。
当店の鑑定士はこの道20年以上のベテラン。大切な作品を丁寧に査定し、相場に合った適正価格をご提示いたします。1点からでもお気軽にご相談ください。
相談はメールや電話はもちろん、無料のLINE査定でも可能です。出張買取も行っておりますが、感染対策が気になる方は、宅配買取をご利用ください。