斎藤真一(さいとう しんいち)は画家で唯一、取材に基づいて瞽女を描き続けた画家です。
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斎藤真一の経歴
斎藤真一は1922年、岡山県で誕生しました。父は日本の木管楽器・都山流尺八大師範として活躍。幼少期の斎藤真一は父と同じ道を志すことはなく、中学の頃は陸上に明け暮れる子供でした。
陸上では県大会にしばしば出場し、三年生の時には駅伝大会にアンカーとして登場。出身中学校の名を馳せることに貢献しました。
実績を買われマラソンに誘われるものの、絵が好きだったため、そちらの道へ行く決意をします。油絵具を買ってもらったことがきっかけで、美術への興味が強まり、休みの日には山を越えて美術館に通うほどでした。
中学卒業後は東京美術学校(現・東京芸術大学)師範科に入学。戦後に無事学校を卒業し、静岡県の中学校へ就職します。同時期に第4回日展に出品していた「鶏小屋」が初入選。
その後も展覧会への出品を続け、光風会第38回展には「閑窓」が入選、同じく光風会第43回展に出した「立春の道」がプールヴ賞を受賞。知名度が高まるきっかけとなりました。
また個展を開いた際に得た資金や家族・親せきの援助を受け、パリへ留学。現地では原動機付自転車に乗り、40日以上も放浪の旅を続けたといいます。
1960年に帰国すると東京にて個展を開催。そして数々の展覧会で実績を重ね、1971年には「星になった瞽女(みさお瞽女の悲しみ)」で第14回安井賞佳作賞を受賞。1982年には 紺綬褒章も受賞しました。
斎藤真一の代表作品
斎藤真一はねぶた祭りを見に行った際、ある宿の老女から瞽女(日本で盲人芸者として働く女性)の話を聞いて以来、強く惹かれたといいます。
その後は新潟に通い、数多くの瞽女を描き続けました。瞽女を題材にした版画やリトグラフ・油彩画は多く、有名なものに「星になった瞽女・みさお瞽女の悲しみ(1971年)/油彩」や「胡桃(1969年)/版画)などがあります。
斎藤真一の描く瞽女は哀愁に満ち、社会的弱者と思わせる儚さを漂わせています。彼は10年以上に渡り瞽女が旅先で泊まる宿を取材。延べ100人以上の瞽女が語るエピソードを記録しました。
「星になった瞽女」は17歳に肺病でこの世を去ったみさおという瞽女をモデルにしています。作品の背景にひとつだけある星の光には、みさおの魂が表現されているのです。
他にも「櫻/木版画」や「赤いスカーフの/リトグラフ」、「星の村 越後瞽女日記(1982年)/油彩画(油絵)」など女性がメインの作品が多いのが特徴。瞽女作品のみを集めた展覧会も開催されるほどです。
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斎藤真一は当時の闇に目を向け、非常にデリケートな問題をキャンバスに描き起こしました。リアルに見たものを描いているからこそ、これほどまでに人々の心を掴むのでしょう。
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