玉屋庄兵衛は愛知県生まれの人形作家です。茶運び人形や独楽廻し人形など、多くのからくり人形を世に生み出してきました。
今回は、玉屋庄兵衛の経歴や作品の買取相場について解説します。
玉屋庄兵衛の経歴
玉屋庄兵衛(本名:高科庄次)は、1954年6月13日愛知県名古屋市の歴史ある人形作家の家系に生まれました。彼が中学の時、兄である正夫がすでに玉屋庄兵衛の名を継いでおり、当時は人形師になることを全く考えていなかったそうです。
中学卒業後は、乗り物のエンジンを作る会社や喫茶店のバーテン、工事現場の作業員などを経験。
その後、1988年に父・正守が亡くなり、兄・正夫が病気で亡くなる半年前に9代目として玉屋庄兵衛の名を襲名しました。この出来事について本人は「自分一人でもやっていく必要があった。責任は重いが、辞めようと思ったことはない」と語っています。
1995年に9代目・玉屋庄兵衛となってからは、尾張地方の様々なからくり人形の修復・復元に尽力。
1996年からは愛知県犬山市にある犬山市文化史料館で、からくり細工の実演を公開するなどの活動を行っています。
2005年に日本で開催された愛・地球博では、長久手愛知県館のモニュメント「踊る指南鉄塔」に展示されたからくり「唐子指南車」を制作し、高い評価を得ました。
玉屋庄兵衛の代表作品
玉屋庄兵衛が手掛けた作品は、まさにプロフェッショナル。従来のからくり人形に加え、8代目の頃からコンピューターで人形の動きを抑制する方法など、新たな挑戦を試みてきました。平成15年には江戸からくりの代表作として「茶運人形」を東京上野の国立科学博物館に寄贈。
2005年にも同じくロンドンの大英博物館に贈りました。小さな茶運人形が、お盆に茶の入った湯飲みを乗せて一生懸命に運ぶ姿は愛らしく、見る人の心を癒します。その他、独楽廻し人形や御所人形・鳥舞唐子など、多くの作品が玉屋庄兵衛によって生み出されました。
作品は数々の賞も受賞しています。彼の手で作られた人形たちは、繊細でまるで生きているかのようです。他にも、修復不可能と言われた江戸の人形たちを次々と現代に蘇らせることに成功。代々続く玉屋庄兵衛の技術力を、世に知らしめてきました。
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