東郷青児(とうごう せいじ)は主に美人画で成功し、一世を風靡しました。プライベートでは浮気や自殺未遂などトラブルだらけでしたが、絵画の実力は本物で、今でも多くの人に愛されています。
ここでは東郷青児の経歴や人気作品について見ていきましょう。
東郷青児の経歴
東郷青児(本名:東郷鉄春)は1897年、鹿児島県で生まれますが、幼少期に東京へ引っ越しをしています。中学校は青山学院中等部を卒業。
のちにペンネームとして使用することとなる“青児”は出身中学校から取ったと言われています。同じ頃、竹久夢二が開いた「港屋絵草紙店」に出入りし、下書きなどの手伝いを始めました。
1915年には日比谷で初の個展を開催。その頃知り合った有島生馬に弟子入りし、本格的に絵画を学びます。
1916年に第3回二科展に初出品した『パラソルさせる女』が二科賞を受賞。1921年にはフランスに留学しています。この頃描いた作品には、ピカソの影響を受けたと思われるものが多いです。
そして1928年の第15回二科展には留学中に描いた作品23点を出品し、第1回昭和洋画奨励賞を受賞。
そんな中、1929年に愛人であった西崎盈子と心中を図る事件を起こしますが、救出され一命を取り留めます。
1933年には当時の妻と離婚し、今度は盈子と再婚するものの、文士賭博事件により検挙されるなど穏やかではない人生でした。
しかし画家活動は順調そのもので、彼の描く女性は本や雑誌・包装紙などに幅広く採用されます。また昭和の美人画家として注目を集め、派手なパフォーマンスで二科展を宣伝。
「二科会のドン」と呼ばれるほどでした。女性スキャンダルは少なくありませんが、画家としては多くの功績を残しています。
東郷青児の代表作品

引用:SOMPO美術館
東郷青児の版画やリトグラフ作品で注目したいのは、「未来派」と呼ばれた頃から戦後「東郷様式」と言われるまでの作風の変化です。
有名な美人画のスタイルは晩年頃に定着しました。東郷青児の作品を良く見ると、全く筆触の跡を残さず、卓越した職人芸で見事なグラデーションを描いています。実物を見てみると、その巧妙っぷりがよくわかるでしょう。
特に憂いを帯びた女性を鮮やかに表現した「青い山/リトグラフ・版画」や「思い出/リトグラフ・版画」、「赤い塔(2014年)/シルクスクリーン」、「婦人像(1930年~1935年)油彩画」が有名です。
他にも「望郷(1959年)/リトグラフ」は古代ギリシャの宮殿のような場所に佇む女性を切なく表現。日本国際美術展で一般入場者の投票で行った、「大衆賞」も受賞した作品です。晩年に描かれた「東郷様式」の代表作ともいえるでしょう。
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