山本容子(やまもと ようこ)は埼玉県出身の版画家です。吉本ばななとのコラボで有名になったこともありましたね。今回は山本容子の経歴や人気作品について見ていきましょう。
山本容子の経歴

引用:山本容子美術館
山本容子は1952年、埼玉県浦和市(現・さいたま市)で誕生しました。福喜鮨創業者山本喜五郎は祖父にあたります。父は研究者で公害処理など化学関係について調べる仕事をしていました。
1959年に小学校へ入学したものの、父の研究所が倒産した影響で、一家揃って夜逃げをする事態に。以降は転校を繰り返す子供時代を過ごします。
中学生になった頃、天王寺公園で前衛劇団「日本維新派」の芝居を観劇し、大きな影響を受けます。この際、「演劇に興味があるなら京都芸大のアトリエ座に行けばいい」と言われ、京都市立芸術大学を志望するように。
浪人生活を乗り越え、1972年に入学を果たします。1975年5月に第27回京展紫賞受賞。
翌年6月には京都のアート・コアギャラリーにて初個展を開催するなどし、知名度がアップ。その後、数々のコンクールで受賞歴を重ねるも、プライベートでは離婚や中絶などを余儀なくされます。
そして1983年に第4回韓国国際版画ビエンナーレで優秀賞受賞。1996年には再婚したものの、2004年に再び離婚。
男性トラブルは絶えませんが、画家としての実力は本物で『Lの贈り物』で第23回講談社出版文化賞ブックデザイン賞を受賞するなど輝かしい功績を残しています。
山本容子の代表作品

引用:山本容子美術館
山本容子は抜群の構成力と絶妙な色使いで、洗練された銅版画の世界を確立。特に雑誌「マリ・クレール」に連載された吉本ばなな作の小説『TUGUMI』の挿画を手がけ、単行本化された際には、表紙にも携わりました。
『TUGUMI』は累計160万部以上も売れる大ヒットとなったため、同時に山本容子の知名度が上昇するきっかけに。活躍の場は絵画だけに留まらず、アクセサリーや食器・舞台衣装のデザインにも数多く採用されています。
彼女の作品は登場する人物はもちろん、草木や動物までイキイキと描かれており、高い表現力が感じ取れます。
銅版画はクールなデザインが多い中、山本容子の作品は明るくフレッシュな印象で、見る人に元気を与えてくれるようです。
その特徴は「The WIZARD of OZ(2011年)/銅版画・手彩色」や「ERIK SATIE(2018年)/銅版画」、「listening(1974年)/エッチング」、「魔笛(2006年)/エッチング」、「かごめかごめ(1998年)/エッチング」などにもよく現われています。
また蒲生医療センターや高松赤十字病院にも壁画を提供しており、活躍の場は多岐に渡ります。現在も精力的に作品を生み出し続けている画家のため、今後の活躍がますます楽しみです。
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